2013年9月5日木曜日

奇跡に想う人 (陸前高田)


知り合いの人が先日「東北復興ツアー」に参加した。
その時のその人との関係は可もなく不可もなかったので、旅行中にも写真をメールで送ってくれた。

今はあることをきっかけにその人とは最悪の状態になり、二度と関わりを持つことはないだろう。

送ってくれた中に一枚の写真があり、その人はきっとその写真を使って心に響く記事を書いてくれると期待していた。しかし、その人は僕との関係悪化によりブログを閉じてしまった。

よってその写真はしばらく使われることはないだろう。その写真の見方も僕とその人では違うはずだ。だから今回、その一枚を無断ではあるが使わせてもらい、記事を書くことにした。

写真をインターネットから借りてくるのは簡単なことだが、写真には「人の思い」と言うものが込められている。一度は心を通じ合わせたその人の「目」を通したものが一番いいに決まっている。



「陸前高田の奇跡の一本松」

僕はもともと天邪鬼だ。だから昔からの日本人の美談づくりには辟易していた。現実はもっとドロドロしていることを知っていたからだ。

しかし、この奇跡の一本松に関してだけは、その思いは違った。



高田松原は江戸時代の1667年、高田の豪商、菅野杢之助によって植栽され、仙台藩と住民の協力によって6200本のクロマツが植えられた。その後、享保年間には松坂新右衛門による増林が行われ、以来、クロマツとアカマツからなる合計7万本もの松林は、仙台藩、岩手県を代表する防潮林となり、景勝の一つであった。その白砂青松の景観は世に広く評価されていた。

確かJRの駅の名前にもなっていたように記憶している。



2011年3月11日の東日本大震災により、それまでその地域を津波から守ってきた防潮林は、10mを越える大津波に呑み込まれ、ほぼ全ての松が壊滅した。

その時あった約7万本の松の中で、奇跡的に一本の松だけが倒れずに残り、この松は震災直後から「奇跡の一本松」「希望の松」「ど根性松」などと通称されるようになった。

その後は皆さんもご存じの通り、大量の人とお金とそして大手術により、その一本の松は命を吹き返し皆の前に姿を見せることができるようになった。

しかし、彼はまだICUにいるのと同じ状態なのだ。
脚を切られ、腕を切られ、金属が体に入れられ、もうすでに以前の彼ではなくなっている。
それを聞いた僕は当初、それは単なる美談づくりであり、自然の摂理に抗う人間のエゴなのではないかとすら思っていた。

だが、その知り合いの目に映った一本松を見て、その人のその時の思いが伝わってきた。
どんな思いで彼を見たのか伝わってきたのである。



東日本大震災では、約16000人の方々亡くなったことが確認されている。
そして被災地の人たちの多くは、その犠牲者を思い、悼みながら「私たちは生かされている」と言う。

予想だにしなかった大地震と津波被害により、愛する人たちを一瞬にして奪い去られたご遺族の方々は、その悲しみ、悔しさ、後悔を一生を通しても受け入れることはできないだろう。しかし、愛する人たちの命が自分達の中に宿っていると気づき、自分が見るもの、自分が感じることは心の中に住む愛する人たちも同じように見て、感じているのだと知ったに違いない。

だから彼らとともに生きよう。
肉体は一つだけだけど、一緒に生きよう。
思わず心の中の子どもや親や友人に声をかけることもあるかもしれない。

「○○ちゃん、花火きれいだろ?」
「父さんがやりたかったこと、俺必ずやるから」
「○○さんならこうするよね、ね?」




陸前高田の奇跡の一本松を助けたのは7万本の仲間だったのか、周辺の数百本の仲間だったのか、それとも人間だったのか、いや、偶然だったのか・・・・それは誰にもわからない。
物理学者が数理的な考えで説明するかもしれないが、それも推測にすぎないだろう。

しかし、僕は信じたい。
決して美談ではなく、この松は仲間によって守られたのだと。仲間が彼に自分達の命を託したのだと。

彼は脚を切られ、腕を切られ、金属を埋め込まれ満身創痍である。
もうかつての「彼」とは違うのだ。

それなのに彼は何故たった一本の脚で立ちあがり、その雄姿を我々に見せるのか。

彼の中には7万本の仲間の命が宿っているに違いない。
彼が孤独にさいなまれた時には「苦しいだろう?でも最後まで生き切るんだ」と声をかけられているに違いない。

だから彼はどんなに無様で、まわりから「前となんか違うな~」と心ない言葉を投げかけられても毅然と前を向いて立っているのだ。

彼はこれからも人間によって助けられ、そして傷つけられていくだろう。
彼は最後の最後まで仲間とともに己の「生」を生き切るに違いない。

それが愛する人を失った悲しみを引きずりながら、毎日復興のために努力している人々への物言わぬメッセージになっているのではないか。





奇跡の一本松は今もこう思っているだろう。


「僕は生かされているんだ」







立派だよ、一本松くん!





*その人の希望で下方に写っているユースホステルはカットしました。
そこで生きている方々の心情を考えての希望でした。
本当に心のやさしい人です。





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