2013年9月18日水曜日

シャボン玉な人



1週間だけ自分で謹慎期間を作り、自己を見つめ直しました。
おかげでとても有意義な時間と、感動を手に入れる事ができました。

息子の進路を模索する中で、最高の指導者と再会をし、運よくその方に息子の夢の第一歩を託すことができるようになりました。

厳しく、茨の道ですが息子には好きな歌の世界で生きていくという決意が感じられました。
バラバラに住んでいた家族が集まり、先生を説得しやっと手に入れたスタートラインです。
久しぶりに親としての自覚が沸々と湧き上がって来ました。

これからどんなに苦しい訓練が待っていようとも、歌が好きである限りは乗り越えられる。
そして親もそれをきっかけに個人の問題も必ず打開できると信じています。

息子の決意、娘の優しさ、そして元妻の美貌のおかげで先生も上機嫌になり、格安の授業料で教えてくださることになりました。

「あ~この中でいてもいなくてもいいのは俺だけだ」
一瞬、そういった卑下する自分がありましたが、自己再生のきっかけとして息子を応援することで僕自身も自信を取り戻せると考えています。





さて、以前からずっと「シャボン玉」を撮影したいと考えていました。
本来は誰かにシャボン玉を飛ばしてもらい、AVモードでバックをぼかす・・・こんなかっこいい写真を撮りたかったのですが、時節がらその辺の子どもに頼むわけにもいきません。怪しいですもんねw

よって、いい歳をしたおっさんが山の中で無風状態を狙って一人シャボン、そしてiPhone撮影です。
想像してみてください。笑えるでしょ?


あんまりよく撮れていませんが、「吹いて撮る」の限界ですw






























シャボン玉は花火と同じできれいだし楽しいけれど「儚い」という性質を持っています。
あっという間に消えちゃいますもんね。


それは人の一生と重なることろがあります。
地球の歴史46億年を1年間に例えると、この21世紀の100年間は12月31日午後11時59分59秒から始まったに過ぎず、たった1秒間しかありません。

つまり地球の歴史からみると僕達の一生など「瞬き」に過ぎないのです。
でも、たとえ瞬きとは言っても実にいろんなことが起こるわけで、楽しい事ばかりならいいけれど、実際は辛いこと、特に受け容れることができないほど辛いことが僕達に襲ってくるわけです。

僕なんかその瞬きがもう閉じようとしているくらいの年齢ですから、この先目が閉じるてしまう前に、自分が何かを成し遂げられるのかと考えると諦め気分にもなってしまいます。
















『方丈記』の一節です。

「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。 」

(現代語訳)
「河の流れは絶えることがなく、しかも、一度流れた河の水というのは、決して元と同じ水ではない。流れていない河の淀みに浮かんでいる水の泡(うたかた)も、瞬間で泡が消えたり、瞬間に泡が出来たりするが、長く同じ場所に泡が留まっている例などはない。世の中にある人間と住まいというものも、河の流れや泡の動きとまた同じようなもの(=絶えず移り変わっていく無常)である 」


河は二度と戻ってこない「時の流れ」を意味しています。
鴨長明は、この世の全てが「諸行無常」であるがゆえに美しく儚いものだと伝えたうえで、無情な世の中にただ絶望するのではなく、その現実を受け容れながらも自分らしく淡々と生きることが大切だと説いています。















あなたのシャボン玉はどれですか?



受け容れることが苦しみを遠ざけるのでしょうか。

たとえ一瞬の命でも、苦しみは一瞬ではなく永遠に続くように思われます。



しかし、シャボンは花と同様に

それを淡々と受け入れ美しく生き切るのです。







それではまた。

チャオ




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