2013年8月26日月曜日

母を想う人




今日は、亡くなった母の七回忌だった。

ろくなこともしてあげられない僕にできることは 母を思い出すことだった。

自転車をこぎながら母のことを考える。




母はこの空のどこかにいるのだろうか









この花を見ているだろうか










千の風になって自由に飛び回っているのだろうか












母さん 元気かい?

最後まで親孝行できなかった僕を恨んでいるかい?

遠く離れた場所の息子が大けがをして いてもたってもいられなくなって

母さんを置いて東京に行った僕を憎んでいるかい?




母さんはたった一人の僕をいつも守ってくれたね

貧乏なのにいい服を着させてくれた

何でもかんでもしてくれるものだから 僕が自分でボタンをはめられるようになったのは

何年生の時だったっけ(笑)

でも ありがとう




母さん 街に出た時に肉屋のコロッケを一緒に食べながら「おいしいね」って歩いたの覚えている?

この前その店に何十年ぶりに行ってみたんだ

コロッケ40円だったよ

三つ買って二つ食べた

味はもう忘れていたけれど もう一つは母さんのだよ

お店に人は「また来てね」って言ってくれた

忘れられない母さんとの思い出

母さんは外でものを食べる人じゃなかったもんね




母さん カレーライスうまかったな 何杯もお代わりしたね

巻き寿司にいなりずし 母さんにかなうものはあれから食べたことがないよ

そしてちらし寿司 なんであんなにうまかったんだろう

母さんがいなくなって もう二度と食べられなくなってしまった

別れた女房がよく言ってたよ

母さんの味噌汁は世界一だって 本当においしかったよ




母さん 僕は母さんの世間体を気にするところが嫌で 中三の時に家を出たね

生意気な口もよくきいた

お前なんて死んじまえ そういう言葉も投げつけた

母さんは僕の気持ちを理解してくれて しばらく離れたまま生活したね

頑張って大学も行かせてくれた

後で聞いたけど ろくなものを食べてなかったんだね

我慢して我慢して僕を大学に行かせてくれた

4年生の時に教員採用試験に落ち 落ち込んで電話した時に

明るい元気な声で「来年があるじゃない」と励ましてくれた

あの時 どれだけ勇気がわいたかわからない

おかげで翌年は難関を突破できたんだ

母さん ありがとう




母さんは昭和7年に樺太の並川という厳寒の地で生まれたね

13歳の時に終戦を迎え、ソ連が日ソ中立条約を破棄して樺太を攻めて来た

何もかにもそのままにして船に乗り 北海道に引き揚げたんだ

兄弟姉妹12人

母さんは上から三番目だから 幼子を背負い 両手に弟妹を連れてこの北海道にやってきた

貧乏だったから学校にも行かず よその家に住み込みで仕事をしたんだよね

まだ13歳の母さんが 背中に赤ちゃんを背負い お手伝いの仕事をして家計を支えたんだ

何度も聞いた話だけど その時は僕にはピンと来なかったけど 今は十分その大変さが分かるよ

本当に家族のために頑張ったんだね



父さんの暴力がひどかったころ 僕は一度聞いたことがあるよね

どうして離婚しないの?

そしたら 母さんはこう答えた

母さんは学がないから 仕事がないんだよ そしたらお前を育てられない

だから 我慢してでもあの人と一緒にいるんだ



悲しかった

母さんはバカじゃない

いつも自分以上に人のことを考え 誰からも愛され慕われている

でも 実際の世の中は そんなに甘くないということを知っていたんだね




他にも一杯書きたいことがあるよ

でも それはまた来年ね




母さん 僕は今自分のことをダメな人間と思ってしまっている

昔 自信過剰だった反動かもしれないけど 

僕が僕自身を否定することは 僕を生んでくれた母さんも否定することになる

今日限り こんな自分だけど 許し愛するようにするからね



母さん 僕を健康な体に産んでくれてありがとう

でも 今の僕は何もかにも最悪なんだ

自分の健康のことなんか何も心配せずにきた結果 どこもかしこもおかしくなっちゃったよ

母さんがくれた財産を僕は身勝手に壊してしまった

本当にごめんなさい

今 元に戻れるようしっかり努力しているから見守ってください



僕がそっちに行ったら ドアのカギを開けてくれるか それだけが心配です

父さんがそっちに行っても ドアは開けなくてもいいからね(笑)









母さんは美人だった








僕をこの世に生んでくれたね











いつも笑いが絶えなかった











それによくモテたよねw










結婚式をあげられなかったから

僕のいとこのドレスを着て喜んでたね









これはそのいとこの結婚式の写真

久振りに僕と一緒に写ってるね








これは何? 黒板五郎のお宅訪問?








僕の教員仲間とカラオケ








姪を抱いている母さん









60歳くらいの母さん








母さん 息を引き取る時にそばにいられなくてごめん

もっと早く病院に連れて行ってあげられなくてごめん

母さんは幸せだったのか・・・

あれか僕はずっとそればかり考えて来た

もし聞いたら 母さんはなんて答えたのかな




母さん ごめんなさい

許して下さい

母さんの分まで幸せになれるよう 今日の命日に誓います

生んでくれて本当にありがとう




今日子ども達と母さんの思い出話をしたよ

母さんの孫二人は 母さんを忘れていない

二人とも本当に母さんが大好きなんだ

これからもずっとね

いつも二人に惜しみない愛をそそいでくれて ありがとう





最後に母さんが大好きだった「彼」の写真を載せるね












天国の階段 第1話





生きている間には言えなかったことを書きました

母を偲んで・・・

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